あくまで自分の感覚の話なのですが、
6月のとある日。
突然、何も考えられなくなったんです。
今日やるべき事、その段取り。
考えようと頭に思い浮かべても、
映像がパッと浮かんですぐ消えてしまう。
頭の中は、?がいっぱいで、
あれ?
え?
なんで?
と時間ばかりが過ぎていく。
この感覚を的確に書くのは難しいけど、
とにかく、
疲れてとか、嫌々だから、とかでは無くて。
今まで経験した事ない感じ。
先月久しぶりに会った友達の旦那さん、
少し前に鬱を発症してしまったと言う。
気がついたきっかけは、
「オレ、今日何すればいいんだっけ?」
と、
いつもしてる在宅仕事が出来なくなったそう。
その話しが頭の片隅にあったから、
"私も、ヤバいかも"
って思ったのです。
旦那さんに話してみたけど、
何も考えられないとか、そう言うこと、
よくある事だよ。少し休んだら?
と言われた。
そうじゃなくて!
そう言うよくある奴じゃないのよ!
と心の中で思っていた。
上手く説明も出来なくて、
ヤバい、ヤバい、ヤバい…
この感覚がずっと続いたらどうしようと
でも、考えようとしても考えられない…(・・;)
恐る恐る目覚めた翌朝、
いつもの感覚に戻っていて、ホッとした。
これは確かに自分が自分に出した
『signal(警告、前兆)』
じゃないのか?
これは、無視しちゃいけない。
そう思った。
私は、仕事をしていないし、皆さんよりは、
時間が自由で、好きな事も沢山できている。
とずっと思っていたから、
"自分のストレス"と言うものを、
いつも低く見積もってしまう。
お仕事してる人に比べたら…って。
時間が自由だからこそ、急なお願いにも
頼られるまま、応えてしまい、
何だか予定とも言えない雑多な用事で
一日が終わることも珍しくない。
お給料はおろか、達成感も感じないような
小さいけど疲れる
『それほどでもない用事たち』
そして、
何でもかんでも引き受けてしまう事こそが、
周りの為になっていないのかも…とか
考えてしまったりもしばしば。
私がしなければ、ならないこと。
私で無ければ、ならないこと。
たくさんあるような気がするだけで、
そんなものは、ないのかもしれない。
多分、達成感を補う為に、
お菓子やパン、料理をしているのだと思う。
私は立派なオトナなんかじゃないから、
何かして、誰かに認めてもらいたい気持ちを
まだまだ持っているのです。あぁ、幼稚〜
頑張ったね、すごいね、と誰かを素直に
褒めてあげている自分でいたいのに。
まだ、余地はある。
こうして、自分の事を
あーでもない、こーでもないと言う余地がまだ
あるうちに、何か…と思っていたら出会った本。
多分、日頃からちゃんとしてる人にとっては、
ごく当たり前の事が書かれているのだろうが、
私は、最初の10ページくらい読んだだけで、
何かしたくてしょうがない、前向きな気持ちに
なりました。(個人の感想です)
母や子どものことで散々悩んでいたけど、
悩みと言うのは、そもそも本人しか
どうにも出来ないことであり、
私が出来るのは、せいぜい心配くらい。
誰かの事で悩んでいる…それはつまり
"自分の思い通りにしようとしても
ならないから、悩んでいる"
改めて、文章にすると、滑稽ですね(^^;;
最近気がついたのだけど、
心配すると、食べれなくなり痩せる。
悩むとストレスが溜まり太る。
2キロくらいの範囲ではありますが、
私はこれを繰り返している。
今は完全に太り気味。
余計なことをうだうだ悩んで、余計な肉を
溜め込んでいるサイクルだ⤵︎
ちょっとずつ、何かを変えたくて、
あれやこれや、お試し中。
その一環として、朝の時間を見直した。
オーバーナイトで挑戦したライ麦パンが、
かっちょ良く焼けて、幸先イイぞ❗️
↓こちらのレシピを参考にさせて頂きました。
意識を先に変えるか?
行動を先に変えるか?
語学と一緒で、
聞くだけでも、読むだけでもだめ。
とにかくアウトプットだ。(本の受売り)
動いて結果を出したら、
意識もついてくるような気がする。
やる気になるのを待っていたから、
今までダメだったんじゃないか!?
あ、語学をこれっぽっちも習得していない、
胡散臭い私の言うことなんて、
信用しないで下さいね(笑)